原敏之博士とヘルストロンの歴史

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原敏之博士とヘルストロンの歴史

現在、電位治療器は製造各社が競って販売されておりますが、そもそもこの電位治療器業界というのは先発メーカーである白寿生科学究所のヘルストロンなくしては語れません。またそれはヘルストロンを世に誕生させた偉人、原敏之博士の努力と汗の結晶といっても間違いありません。彼の若かりし頃からの研究心、また人々が病に罹りまた罹らんとすることに対する白寿の健康法の実践なくしては現在の電位治療器業界も存在し得なかったのです。

当社SOSネットワークは各種電位治療器の専門社として営業させていただいておりますが、これからの電位治療器業界の繁栄を心から祈っております。それ故、博士の地道な努力、苦労、偉大な功績を少しでも多くの人々に知っていただきたく、同社の古い資料、出版物から抜粋しました。


ヘルストロン・電界療法発明者 ・医学博士 原敏之の経歴

明治35年2月5日 原敏之(平助)は長崎県対馬の厳原町にて父・長助、母・古登(こと)の間で三人姉弟の長子として誕生する。
明治37年2月 日露戦争勃発
明治38年5月28日 対馬沖、日本海海戦にてバルチック艦隊殲滅。
明治43年4月 伊万里尋常高等小学校に入学。
大正3年 第一次世界大戦勃発。
大正3年4月 県立佐賀中学校に進学。中学2年に佐賀工業機械科へ編入。
大正8年 京都高等工芸学校に入学。
大正11年3月 佐世保市の海軍工廠造機部に就職する。
大正11年8月 長崎医科大で理学療法の研究生になる。レントゲン装置に欠かせない管球制作に
とりかかり、当時、輸入品の高額な管球の変わりに安い原価の「原式・国産管球」を作成する。
大正14年2月 「帝国レントゲン株式会社」を創立し、レントゲン部品や装置を製造するようになり、光武病院に20万ボルトのレントゲン装置を納入。同時に長崎医科大で理学療法の研究を続けている間に、後にヘルストロンの発明のきっかけとなった
【注1】
ドイツの医学雑誌の記事「生物の生命と電気」の文面と出会う。
昭和3年 「帝国レントゲン株式会社」を「原電機工作所」に改称。100万ボルトの交流高圧電界装置を完成させるため、「原理科学研究所」も創設。
同年2月 「九州日報」・大原義剛氏らの支援のもと「福岡総合病院」の仮建築が完成。
開院を控えた福岡総合病院で【注2】100万ボルトの人体負荷実験が実施されました。
昭和4年4月25日 福岡総合病院では本院開院とともに100万ボルト交流高圧電界装置による通電治療が開始された。同年9月その臨床結果の一部を論文にまとめ九州帝大医学部を中心とした研究雑誌「実地医家ト臨床」に発表したが、学会からは完全に無視されてしまった。
昭和5年 竹内静子と結婚
昭和6年 満州事変勃発。その後、世の中は戦時色が濃くなっていき、電界療法の研究を中断、日本は暗く長い戦争の時代に進んでいくことになる。
昭和21年 戦後、炭鉱経営に乗り出す一方、佐賀市にて「万世科学研究所」を創設し、当時、高値で取引されていたペニシリンを廉価で高品質なペニシリンの製造を始める。
昭和30年7月 中断していた電界療法の研究を再開するため上京し、現在の白寿生科学研究所の母体となる「白寿会」を文京区に創設する。「白寿会本部」【注3】「白寿会医院」を作り本部内には白寿静電協会を開設した。これは電界療法を全国各地に広く普及させることを目的として、各地に支部を設置し電界装置を完備。支部会員はわずかな会費で、電界療法を受けられるような制度となっていた。現在のハクジュプラザに似ている。
白寿会本部の中に白寿生科学研究所が併設され、ここでヘルストロン装置の基礎研究と製造を行うことにした。また「なぜこの療法が効いたのか」という電界が生体に及ぼす効果を理論的に解明しなければならないという研究であった。
昭和30年10月 52才にもかかわらず、東大農学部獣医内科教室の研究生となり、動物実験の結果、長時間にわたる通電でも害を及ぼす危険性は無いと結論付けられたが、「生体に電気的影響を与えた場合、血液中のカルシウムの変化はどうなるか」という問題は残っていた。
昭和32年2月 交通事故で重傷を負い、複雑骨折により足の切断手術を宣告されたが、原自らヘルストロンの試作器で毎日10時間、電界負荷を与え続けた所、驚異的な回復を示し、10ヶ月後には杖無しで歩けるほどになった。
昭和36年3月31日
  1. 東大農学部・大越伸等との実験による論文「交流高圧静電負荷の生体に及ぼす影響について」、
  2. 2.都立衛生研究所・柳沢文正との実験による論文【注4】「交流高圧静電負荷の血液電解質に及ぼす影響について」
  3. 3.同愛記念病院・葛西^一郎との実験による論文【注5】「交流高圧静電負荷の臨床実験」

東邦医科大医学部に提出したこれらの研究成果をまとめた学位論文が認められ、敏之は晴れて医学博士の学位を授与された。

同年5月 高輪プリンスホテルで学位授与の祝賀会が開かれ、その席には大越、柳沢ら医学界関係者ほか、敏之の強力な支援者となった【注6】日本船舶振興会会長の笹川良一氏も駆け付けた。
昭和36年10月 日本国内において専売特許取得
昭和36年〜37年 英・香港・伊・西独・仏で特許取得 
昭和38年2月 家庭用ヘルストロン600、1200、2000、3000ボルト、理学診療用7000ボルトの5種類が日本で初めて厚生省の製造承認を受けました。(昭和33年11月よりヘルストロン保健装置・白寿高圧静電保健装置の製造申請を申請していた。)原博士が電界療法の研究を始めてから35年の歳月が経っていました。
昭和40年11月1日 虎ノ門、日本船舶振興ビル10階において【注7】100万ボルトヘルストロン装置の公開実験が行われ、笹川良一自身が率先して100万ボルト通電台に上がった。
昭和42年 日本船舶振興会の寄贈により、アジア救ライセンターに100万ボルトヘルストロンが設置された。その後、フィリピンの「タラ・ヘルストロン・クリニック」に1万5千ボルトヘルストロン装置、台北ライ病院、ブラジル・サンパウロ市の「伯国白寿会」に設置された。
昭和53年3月 西ドイツ・デュッセルドルフ大学医学部に理学診療用ヘルストロンを設置。
昭和55年3月 マレーシア・クアランプール市の同善病院に100万ボルトヘルストロンを設置。
昭和56年9月 南米ペルー・リマ市の「日秘文化センター診療所」内に理学診療用ヘルストロンを設置。
昭和62年2月 タイ国・マヒドン大学公衆衛生学部内に理学診療用および家庭用ヘルストロンを設置。

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