電話をかける(フリーダイヤル)

原敏之博士とヘルストロンの歴史 注釈説明

【注釈1】

ドイツの医学雑誌の記事の一部・「生物の生命と電気」
ドイツでは、高圧送電線の下に居住している人の中に結核患者がいない。そればかりか健康状態も極めて良好である。植物もよく育ち、作物の収穫量も多いことが注目されている。しかし、その理由については、現在のところ理論的には説明できない。

この記事に書かれている内容が事実ならば、高圧電線から放射されている電気、つまり電界が、生命に何らかの影響を与えているかもしれない。それなら、もし人工的に同じような条件を作り出して、しかも電気の作用を数百倍、数千倍強力にして人体に作用させることができたら、飛躍的に治療効果を上げられるのではないか・・・・

原博士が開発しようとしたのは従来の直流型とは全く違った交流の高圧電界療法であった。
直流の電気は一方向にしか流れないので、症状によってプラスの電極を与えるか、マイナスの電極を与えるかを見極める必要性があり、さらにどの部分にどの程度与えるかという調整も重要なのである。
しかし、交流電界療法の場合はプラスとマイナスの電流が交互に発生するので、一方向ではなく、両方の電極による効果が相互に体全体にもたらされる。つまり、交流電界療法は深呼吸のようにればやるだけ体に良いわけで、やりすぎるという心配はないのです。
「高圧電気が作り出す電界は、生命に好ましい影響を与える」・・・・この仮説のもとに原博士は交流高圧電界装置(ヘルストロン)の研究を始め、開発しようと思ったのは、高圧の電気によって発生する電界を利用して人間の治癒能力を高めようというものだった。
その後、いろいろな試行錯誤の結果、電界装置そのものが完成されたが、実際に試してみよ
うとすると、誰も実験装置に座る者がなく、仕方なく自分自身が実験装置に座って実験の成功した。また、その後の結果として、息子を信じる実母が100万ボルトの実験台に上り、高電圧公開人体実験は成功にしたのです。

【注釈2】

当日は「九州日報」「福岡日日新聞」などの新聞社数社、福岡県庁幹部、警察署長、九州帝大医学部教授をはじめ100名を超える招待客が集まっていました。しかし、実際に実験台に上がるはずだった人が尻込みしてしまい、このままでは実験は中止しなければならない。その時、「私が実験台に上がりましょう」と会場に母・古登があらわれ、周囲の引止めにも応じず、自ら実験台に上がられました。
古登が実験台に上がると、敏之は配電管のほうへ歩み寄り、何のためらいもなくスイッチを入れました。瞬間、ものすごい音響とともに1メートルを越す青紫色の閃光が古登の頭から走り,敏之はあわててスイッチを切りました。この間、わずか3秒。
古登は実験台に上がったまま、動かない。室内を明るくするとスイッチを入れる前と同じ姿で座っていた。
「古登さん。大丈夫かっ!」「頭から火が出たぞ」と誰かが叫んだ。
「なんともありゃせん」と、古登は静かに言った。
「本当に大丈夫か?」と皆が駆け寄り、診察して脈を調べてみると、これまで通りで別段異常は見当たらない。
「母親を実験台に使うやつもやつだが、実験台に上がる母親も母親だ。まったくあきれた親子だ。」と言われ、
母・古登は「装置が完成すれば、自分と同じ苦しみを持つ多くの人が救われる」と言われた。実験の成功は信じていたが、たとえ万が一結果が好ましくないものであっても、世の中のために自分が役に立てるのならそれも本望だと思っていた。
「病める母 なんぞ命が惜しかろう子のためでなし 世のために乗る』母 古都
「母思う 心にまさる親心 老いの身にかわる閃光にて」 敏之

【注釈3】

白寿会医院の診療科目は、内科、神経科、物理療法科であつた。物理療法科では、まず敏之が患者の症状をじっくり聞き、食生活から人間関係など洗いざらい聞き出し、適切な処置を指示する。悪いところだけを治しても、その根本となる原因を取り除かねばまた悪くなる。そんなことを繰り返しても病気は治らないというのが、生涯貫いた敏之の健康哲学であり、同時にヘルストロン療法の根本理念をなすものであった。

【注釈4】

交流高圧静電負荷の血液電解質に及ぼす影響について
健康な人と病人の血液の違いを調べてみると、血液中のカルシウムイオンに差があり、
健康な人にの血液はイオンが多いアルカリ性で、病人の血液の多くはイオンが少ない酸性に傾いていることが分かりました。
そこでヘルストロン装置で病人を治療した場合に、酸性の血液がアルカリ性に傾いていくことが認められれば、.電界療法の有効性を論理的に証明できるわけである。
そこでウサギを使った動物実験をしたところ交流高圧電界を与えると血液成分に変化が起きることが明らかになり、血液成分中のカルシウム成分が増え、無機質、マグネシウム成分が減っていることが確認されました。
さらに電界負荷を止めた場合、一日経つともとの状態に戻ってしまう事が分かり、毎日電界負荷を与えると血液成分が元に戻る変動率がだんだん少なくなり、最終的には一定に保たれるようになった。これらの実験から、生体が健康な体を維持するには血液をアルカリ性に保つことが不可欠で、それは交流高圧電界を負荷することで保たれるということが実証できたのである。

【注釈5】

最終的な臨床実験では、何らかの疾病をもった9才から98才までの男女50人を対象に行われた。結果の判定は本人の自覚症状とともに医師による検証を行い、症状が著しく改善されたものを「著効」、改善が見られたものを「有効」、改善が見られなかったものを「無効」とした。実験結果は50例中「無効」「不明」はわずか一例ずつのみであった。
これに対し「有効」が30例で過半数を超え、「有効」は18例であった。しかも、3年間続いていた小児喘息、6年の神経性皮膚炎、6年余りの狭心症などが「著効」と判定された。

【注釈6】

日本船舶振興会会長の笹川良一氏はガン性胃病の手術後、ヘルストロンで再発を防ぐとともに健康を取り戻して以来、ヘルストロンの絶大なファンとなり、昭和39年に同氏の申し出でにより船舶振興ビルに100万ボルトヘルストロン装置が設置されていた。

【注釈7】

毎日新聞(昭和40年11月9日付夕刊)の記事としてマスコミに取り上げられた。内容は100万ボルトヘルストロン装置の前に立つ敏之の写真入りで、ヘルストロンの来歴と敏之の紹介、当時の首相・佐藤栄作、外務大臣・椎名悦三郎、厚生大臣・鈴木善幸も利用者であると書いた。しかし、当時の医学会の反応は必ずしも好意的ではなかった。後になり「使ってみる気はない」とコメントしていた大島良雄教授は昭和45年6月、自らの判断で東大物療内科に3万ボルトヘルストロン装置の導入を決めた。

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